積丹は、アイヌ語で「シャク(夏)」「コタン(村、郷土)」が由来となっています。その名の通り、「夏の村」
を意味する積丹は、夏の時期に獲れるウニや海の青さが映える「積丹ブルー」などの夏のイメージがありますが、
積丹は明治から昭和の時代にかけて、ニシンが多く獲れたことで、漁業の町として発展し、現在も多くの美味しい
海産物が水揚げされています。
そして、これからの季節にも美味しい海の幸を存分に楽しむことができます。
積丹は漁業で栄えた町
積丹は、明治時代に開拓され、明治から大正の時代にかけてニシンが大量に獲れたことで発展しました。
ニシンが大量に獲れたその当時は約2千人ほどの季節労働者がニシンを獲りにやって来たと
言われています。
鰊の最盛期には、漁獲量が97.5万トンにも上り、過去最高の漁獲量を記録しました。
収穫も間に合わないほど大量に獲れたため、一時的に保管ができるように袋澗(ふくろま)と
呼ばれる施設も作られました。その施設は現在も積丹の海に見られ、その名残を残しています。
現在、積丹では鰊は多く獲れることはなくなりましたが、ウニ漁が漁業の中心となっています。
海に面していることもあり、海の幸を美味しくいただける場所として、その味を求めて多くの観光客が訪れています。
袋澗(ふくろま)とは
袋澗とは、石造りで作られた小さな港で、鰊を保管するだけでなく船着き場や陸揚げするために
使われるなど、当時の鰊漁を支える施設でした。
北海道の奥尻、利尻、礼文島、積丹半島などに約300ほどあったと言われています。
100年以上経った今もその形跡が残されているところもあり、当時の鰊漁を伺い知ることができる
土木遺産として北海道遺産にも認定されました。
幻の魚と呼ばれた鰊(ニシン)
ニシンは3~4月に獲れる回遊魚で、春に産卵をしにやってくることから「春告魚(はるつげうお」と
呼ばれています。
江戸時代に初めてニシン漁が始まり明治時代に漁獲量のピークを迎えた後は、徐々に漁獲量は
減少し、衰退していきました。
1957年にはついに鰊は幻の魚と言われるほどに途絶えてしまいました。
その原因としては、当時大量に摂れた鰊の回遊域が日本海から北に移っていったことがあげられます。
当時の鰊の分布域は、日本海からオホーツク海までの広範囲を回遊していた鰊で、北海道・サハリン系
と言われています。
当時は鰊の回遊域は一つと考えられていましたが、現在では7つの回遊域があることが分かっています。
そのうちの石狩湾系と呼ばれる日本海側に回遊する鰊の群来(くき)が1999年に45年ぶりに確認されました。
当時の漁獲量に比べるとその数は少ないですが、徐々にその漁獲量は回復してきており、現在の鰊の漁獲量は、
1万トンほどと言われています。
最高の漁獲量を記録した100万トンの漁獲量は、機械もない当時は大変な力仕事だったと想像されます。
皆で声を出し合い、その掛け声として「ソーラン節」が生まれました。
そして、大量に獲れた鰊は「北前船」と呼ばれる船で東京や大阪へと運ばれました。
その収益から漁師が寝泊まりする「鰊御殿」や豪邸も建てられ、現在その建築物は観光名所の一つとなっています。
積丹で獲れる海産物
積丹の特産物は、主にウニが全国的に有名ですが、ウニの他にも様々な海産物が毎年水揚げされています。
これからの季節には、10月にアワビ漁が解禁となり、ブリや鮭なども美味しくいただけます。
また、冬の時期には真タラやアンコウ、スケソウダラなどを味わうことができます。
これからの季節の積丹の海の幸をぜひ一度味わってみてくださいね。